橋本基弘
橋本基弘の発言14件(2026-07-14〜2026-07-14)を収録。主な登壇先は内閣委員会。キーワードで検索・期間指定で絞り込めます。
最近のトピック:
国旗 (46)
法律 (39)
損壊 (29)
行為 (28)
表現 (19)
役職: 中央大学法学部教授
役割: 参考人
会議別 出席回数/発言回数
| 会議名 | 出席回数 | 発言回数 |
|---|---|---|
| 内閣委員会 | 1 | 14 |
発言一覧
| 発言者 | 肩書 | 院 | 日付 | 会議名 |
|---|---|---|---|---|
| 橋本基弘 |
役職 :中央大学法学部教授
役割 :参考人
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参議院 | 2026-07-14 | 内閣委員会 |
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先ほども申し上げましたけれども、そもそも国旗を焼く意図というのは政府に対する批判ですよね。それは、民主主義にとってみるともう根幹的な自由です。つまり、政府を批判したり政策を批判したりするというのが表現の自由の主目的ですよね。ですから、それを規制するという側面に比べると、分かりません、濫用があるとは思いませんけれども、おりに入れるというその必要性よりもはるかに、政府批判を取り締まるという危険性の方がはるかに大きくて、そちらの方をちゃんとおりに入れておかなければいけないんじゃないのかなと。
制約すべきというのは、まあそういう事実があるとは思いませんけれども、恣意的に法の適用がなされているということよりも、政府批判を取り締まるというふうなその国家の在り方をおりに入れておく必要の方がはるかに大きいのではないかというふうに思うんです。
要するに、我々が自由な国家に生きてきたというのは、自由に
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| 橋本基弘 |
役職 :中央大学法学部教授
役割 :参考人
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参議院 | 2026-07-14 | 内閣委員会 |
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今御指摘の点がまさしくこの法律案の最大の問題なんだろうと思うんですね。国旗にバツを付けたら、それではいかぬのでしょうか。丸だったらいいんでしょうか。丸だったらいいけどバツだったら駄目だと、これは誰が決めるのか、そこが全く不明確ですよね。ただ単にバツを付けるとか、あるいはその日の丸の中心部分をくりぬくことが処罰をされるんだったら、恐ろしくて日の丸なんというのは掲揚できないですよね。むしろ、だから、これ繰り返しになっていますが、そこに過剰に反応することこそが国旗に対する国民の感情といったものを、まあ何というんでしょうかね、過剰な反応をそこで引き起こすのではないかというふうなことが私は指摘できるように思うことだと思うんですね。
ですから、バツを付けられて非常に不快な思いをしたということが立法事実なのであれば、どんなものだって規制できるんだろうと思うんです。そこは、立法事実というふうに言う、つ
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| 橋本基弘 |
役職 :中央大学法学部教授
役割 :参考人
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参議院 | 2026-07-14 | 内閣委員会 |
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先ほどの繰り返しになりますけれども、例えばドイツの場合、ドイツ国旗の損壊行為、これはまさにナチズムへの復活を招く表現というふうな意味を持つわけですね。したがって、ドイツにおける国旗損壊罪、これはまさに反ナチズムというような思想を体現しているわけです。せっかく独裁体制やファシズムを倒してつくり上げた共和国を保っていこう、そこの切実な法益というのがあるわけですね。そういう歴史、文脈、そういったものがあって初めて国旗損壊罪といったものが犯罪になっているわけですね。
これは、外国にあるからだということで日本にもという議論に欠けていることでありますけれども、でも、どの国でも国旗損壊罪の適用は非常に慎重なんですね。非常に抑制的だということです。それはつまり、まさしくそれは、国旗を損壊する行為というのは表現の行為だからという意識も一方であるということですから、そういうやっぱりバランス、両方共の事実と
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| 橋本基弘 |
役職 :中央大学法学部教授
役割 :参考人
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参議院 | 2026-07-14 | 内閣委員会 |
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教育と強制との区別という非常に難しい問題ではございますけれども、かつて最高裁判所は、旭川学力テスト判決の中で、国家が教育に介入していいかどうか、その一つの線引きとして、子供が一個の人格として成長することを妨げるかどうかという点を挙げました。今回、国旗損壊に関する法律というものができた。その保護法益が国旗を大切にする国民感情であると。それが独り歩きする危険性というのは考えておかなければいけないということだと思うんです。
それは、教育の現場で、かつて国旗・国歌法がそうであったように、それが一つの契機となって一種の強制というものが教育現場で行われるという危険性は考えておかなければいけないと常々思っておりました。それが結局、その教育の本来の目的である自己認識であるとか、自己省察であるとか、物事を批判的に捉えていくような能力の涵養とか、社会生活における自己のその、何といいましょうかね、ポジショニ
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