日本維新の会
日本維新の会の発言19568件(2023-01-20〜2026-07-09)。登壇議員90人・対象会議83件。期間や会議名で絞込可。
最近のトピック:
首都 (135)
日本 (111)
東京 (79)
必要 (70)
制度 (62)
発言一覧
| 発言者 | 肩書 | 院 | 日付 | 会議名 |
|---|---|---|---|---|
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 ありがとうございます。
教育というのは取捨選択だというふうに思います。学問に優劣というのはもちろんないんですけれども、それでも、私たち大人というのは、教育において学問の取捨選択をしています。中国語よりも英語を子供たちに教えよう、哲学よりも数学を教えよう、文化人類学よりも世界史を教えようと、子供たちに教える学問を取捨選択しているわけです。子供たちの学習時間は限られているわけですから、それは当然なんですけれども。
この教育における学問の取捨選択というのは、時代に合わせて常に行っていかなければならないというふうに考えております。硬直化してはならないというふうにも思います。その観点から、現代においては、金融経済の勉強こそまさに時代に合致しているものかなというふうにも思うんです。
ちょっと端的に大臣にお伺いいたしますけれども、古文、漢文と金融経済の勉強、未来を生きる子供たちに
全文表示
|
||||
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 もちろん、古文、漢文も大事な学問だというのはあるんですけれども、先ほど言ったように、子供たちの勉強時間は限られているわけですから、金融経済教育をしっかりやりたいんだったら、何かを削減しなくちゃいけないというのも事実であると思います。金融経済教育を推進する大臣としては、古文、漢文よりも金融経済の方が大事だと言ってほしいところではあったんですけれども。
もちろん、古文、漢文はすばらしい学問で、今使われている日本語の成り立ちを学ぶことはできるんですけれども、それでもやはり、金融経済の方が現代においては学ぶべき優先度は高いんじゃないかと。苦渋の決断で、やむを得ないけれども、学校教育においては古文、漢文の勉強を少し削って、その削った分を金融経済に充てるべきだ、これぐらいの強い意思を大臣が先頭に立って示していかないと、金融経済教育を本当の意味で推進することというのはなかなか難しいのかな
全文表示
|
||||
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 もちろん、バランスを考えながらということはそのとおりだと思うんですけれども、では、副大臣は、金融経済と古文、漢文、どちらが大事だと思いますでしょうか。
|
||||
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 いずれも大事なのは分かるんですけれども、古文、漢文も本当に重要な学問であると思うんですけれども、やはり教育というのは取捨選択なわけですよ。
現在の学校教育においては、古文、漢文の方が金融経済よりも重きが置かれていると思います。私自身、中学、高校のとき、古文、漢文をかなりやらされて、かなり苦労した覚えはあるんですけれども、金融経済教育の勉強というのはほとんどその機会がなかったというふうに記憶しております。
もし同じぐらい重要だ、どちらが優劣とも言えないというのならば、なぜ古文、漢文に重きが置かれているんでしょうか。同じぐらい大事でしたら、同じぐらいの勉強時間が取れるような学習指導要領であったり、カリキュラムを組むべきではないでしょうか。客観的に見ると、現在の学校教育においては古文、漢文の方が金融経済よりも重きが置かれています。これはなぜでしょうか。
|
||||
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 ちょっと堂々巡りになってはしまうんですけれども、もちろん学問に優劣はないんですけれども、学校教育においては、この科目はより勉強すべきで、この科目は勉強しない、余り時間を割かないというのはやはり現実としてありますので、金融経済教育におけるウェートをもう少し増やすべきじゃないのかというのが私の意見ではあるんですけれども。
学校で子供たちに何を教えるのか。まさに教育というのは、国の礎となる、最も重要なものだと思います。今回はこういったふうに金融経済教育の話をさせていただいたんですけれども、私が一番言いたいのは、学校で子供たちに何を教えるのか、これは常に議論を続けて、時代に見合った教育をしていくべきだと思っております。
戦後、学校教育におけるカリキュラムというのは、マイナーチェンジこそしているとは思うんですけれども、基本的には、やはり大きく変わることなく硬直化していると思います
全文表示
|
||||
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 ありがとうございます。
少しちょっと目線は変わるんですけれども、中学校では二一年度から、高校では二二年度から始まった新学習指導要領では、AEDを使うなどとした救命処置の習得を指導することと定めています。これはあるべき姿で、むしろ定めるのが遅かったのではないかとすら思います。
AEDの救命処置もそうなんですけれども、例えば、自分や家族にこういう症状が出たらこういう病気を疑えだとか、こういう症状は緊急性が高い可能性があるのですぐ病院に行くべきだ、あるいは、こういう習慣は将来的にこういう病気を引き起こすことがある、血液検査でこんな数字が出たら危険性が高い可能性があるようだとか、こういった命に直結する基礎的な医療や医学を教えることは、子供たちの人生にとって重要かと思います。基礎的な医療や医学を学校で学べば、その学んだ知識で自分や大切な人の命を救えるかもしれません。
こういっ
全文表示
|
||||
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 ちょっと、先ほどと同じ議論にはなってしまうんですけれども、やはり、どちらが大事ということは定めていないと建前では言っていても、結局、学校で学ぶ学問というのは限定されていて、私たち大人というのは、子供たちに何を教えるかということを、優劣をつけて選別して教えているわけです。
やはり、何が重要で何が重要でないかというのは、これは大人の責任としてしっかりと峻別していく必要があると思いますので、何を子供たちに教えていくかというのは非常に大事なことだと思いますので、そこはできれば、一概に言えないだとか、優劣はないという建前論ではなくて、何が大事か、何を子供たちに教えていくべきか、何を次世代に教えていくべきか、これは我々大人の責任として、文科省だけではなく、官民一体となって、国全体で議論をしていくべきだと思っておりますので、そういった認識をしっかりと持っていただければと思っております。よ
全文表示
|
||||
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 英語によるコミュニケーション、確かに非常にビジネスの面でも大事だと思うんですけれども、そのコミュニケーションというのは自動翻訳機によってすることができる。
英語を学ぶ背景というのはいろいろあって、もちろん、相手の気持ちを推し量るだとか、そういういろいろな要素があるんですけれども、私が言いたいのは、先ほども申し上げたとおり、文系の学生、私自身もそうだったんですけれども、文系の学生だと、特に私大を目指すような文系の学生だと、本当にもう英語ばっかり、半分以上本当に英語を勉強している、ひたすら英語の勉強をしているというような現状なんですけれども、それを変えるつもりはないというか、ほかの勉強に、先ほども申し上げたように、子供たちの勉強時間は有限ですので、果たして、自動翻訳機ができたとしても、全勉強時間の半分以上を英語に充てるような教育体制でよろしいのでしょうかという質問ですので。
全文表示
|
||||
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 分かりました。
同じような観点からの質問なんですけれども、今、私たちのポケットの中には、スマホというある意味、百科事典以上のものが入っております。よく子供たちがやっている丸暗記というような行為にはもう意味がほとんどないというふうにも考えられます。私も、学生時代、例えば徳川十五代将軍を十五人全員丸暗記していましたけれども、そういったような丸暗記に意味はもう余りないというようなことも言えると思います。スマホで調べれば五秒で十五人全員出てくるわけですから、丸暗記という行為が意味を持たなくなった今こそ、教育を大きく変える、大きな時代の転換点かなと、大きな絶好の機会かなというふうにも考えるんですけれども、そこの部分に関して、文科省としての御見解をお聞かせください。
|
||||
| 藤巻健太 |
所属政党:日本維新の会
|
衆議院 | 2023-06-07 | 財務金融委員会 |
|
○藤巻委員 ありがとうございます。
もうちょっとだけ時間があるので、少し変わった目線で話させていただくと、今、ブラック校則というものがございます。このブラック校則というのは、一般的な社会通念から見て明らかにおかしいような校則のことです。私の高校でも、髪の毛が耳に触っちゃいけないとか、黒や紺のカーディガンはいいが白のカーディガンは駄目だというようなものがありました。多様性を認めようという今の社会の流れからは完全に逆行するようなものだと思うんですけれども、文科省としては、ブラック校則についてはどう捉えられているでしょうか。
|
||||